明日死ぬから生きている

自殺未遂もしたけれど重度の摂食障害を抱えて生きている。明日死ねたら僥倖だ。

明日生きるために過食嘔吐と今日を生きる

はじめまして。私は久瀬、過食嘔吐のために生きて死にます。

私の人生は過食嘔吐と共にあるといっていい。断言できる。

 

話のさわりから。10月末、つい先日のことです。

はじめて自殺未遂をしました。酒をあおってODののち、首を吊りました。

いまどき天井付近に紐を掛けるのにおあつらえ向きな場所なんてなくて

ならば先人たちの教えに従ってドアノブで首つりをしようと、

私は前々から決めていました。

前々、とは、具体的に言うと「常々死にたい」が「死のう」になったその瞬間です。

それ以来私は、夜な夜な絶望に泣くのをやめて、無我夢中で身辺整理を始めたのです。

不思議な、今までにない解放感がありました。

毎日あれほどあふれていた涙もおさまり、山とあふれていた私の持ち物ひとつ残らず

何の価値もなくなってしまいました。

なんと暴飲暴食の量も減りました。まるで生まれ変わったように!

どうせ死んでしまえるのだから、生きるために過食嘔吐しなくてもいいのです。

私にとって過食嘔吐とは、今日という日をやっと終わらせて、

明日をなんとか生きてゆくためのツール、もとい、愛すべき儀式でもあります。

 

首吊り当日に話を戻すと、結果として、私の自殺は未遂に終わりました。

恨めしいことに、最期だからと送ったラインが原因で

首吊り直後に家族の一部が車で駆けつけてしまったのです。

車で20分と、そう離れていない場所での一人暮らしでしたから

鍵まで渡してしまっていたのは本当に悔やまれます。

私は母が住む祖父母の家に連れていかれました。

福祉施設の管理栄養士という立場も辞めました。

管理栄養士。

それは唯一、私が初めて自分だけの力で手に入れて、自分に誇れたものでした。

死のうと決めた瞬間に、とうに価値を失っていたけれど。

 

そうして私は今もおめおめと呼吸をしています。心臓が動いています。

あいつらが私を生かそうとする。いまさら生きることを強制する。

行きたくもない精神科で飲みたくもない薬をもらう。

誰かが私を生かそうとする。私が私を生かしている。

だから隠れて朝から酒をあおっています。

だから隠れて食べて吐いています。

 

 

大学時代に摂食障害過食嘔吐)患って、あっという間に5年が過ぎました。

痩せようと思っていた時期もありました。

治そうと思っていた時期もありました。

今となってはどうでも良いことです。

体型も治療も、もともとあったはずの平穏な食生活も、

チューブを使用し始めてからは露ほどの価値もなくなりました。

 

今は、食べて吐ければ、そうして死ねたら僥倖です。